【短編小説】顔のない通話――AIが奪った「私」の証明

怖い話

深夜のオフィス。残業を終えたばかりの自分のスマートフォンが震えた。
画面には「母さん」の文字。時刻は午前2時を回っている。嫌な予感がして、急いで通話ボタンをタップした。

「もしもし、母さん? こんな時間にどうしたの?」

『……あ、ごめんね。夜遅くに』

スピーカーから聞こえてきたのは、間違いなく母親の声だった。少し掠れた、独特のイントネーション。だが、どこか平坦で、妙な違和感があった。

『実はね、今すぐお金が必要になっちゃって……』

「お金? どういうこと?」

『交通事故を起こしちゃったの。相手が怒ってて、今すぐ示談金として100万円振り込まないと警察を呼ぶって……』

典型的なオレオレ詐欺の文句だ。しかし、声は完全に母のものだった。自分は焦りと疑念の狭間で揺れ動いた。

「母さん、本当に母さんなのか? ちょっとビデオ通話に切り替えていい?」

『え、ビデオ? 今はちょっと……』

「いいから!」


半ば強引にビデオ通話に切り替える。数秒のラグの後、画面に母親の顔が映し出された。
薄暗い部屋の中で、怯えたような表情を浮かべる母。見慣れたシワ、白髪混じりの髪。間違いない、母だ。

「母さん、大丈夫か? 相手はどこにいるんだ?」

『……それが、ちょっと……』

その時だった。
画面の中の母が、ふいに瞬きをした。
いや、瞬きではない。母の「顔」が、一瞬だけズレたのだ。

まるで、顔の上に薄い皮を被せているかのように、目と口の位置が不自然に歪んだ。

「……え?」

『……早く、振り込んで。お願い……』

母の口は動いている。しかし、声と口の動きが微妙に合っていない。
そして次の瞬間、通信の乱れと共に、画面の映像が乱れた。


ノイズが走った直後、そこに映っていたのは母ではなかった。
薄暗い部屋の中で、複数のモニターに囲まれた見知らぬ男が、無表情でこちらを見つめていた。男の顔の表面には、緑色のワイヤーフレームのような線が走り、母の顔のパーツが貼り付けられては剥がれ落ちていく。

『……チッ、バレたか』

男の口から出たのは、母の声だった。
ディープフェイク。AIを使って他人の顔と声をリアルタイムで合成する技術。ニュースで聞いたことはあったが、まさか自分がターゲットになるとは。

「お前、誰だ! 母さんに何をした!」

『何もしてないよ。ただ、SNSに上がってたあんたの母親の動画から、声と顔のデータを抽出しただけさ』

男は薄ら笑いを浮かべた。その顔に、再び母の顔がオーバーレイされる。母の顔をした男が、ニヤリと笑う。それは、言葉では言い表せないほどのおぞましさだった。

『便利な世の中になったよな。数秒の音声と画像があれば、誰にだってなれる。あんたの母親にも、あんたの上司にも、あんたの恋人にも』

「ふざけるな……!」

『じゃあな。次はもっと上手くやるよ』

通話が切れた。
静まり返ったオフィスで、自分は冷や汗を流しながら立ち尽くしていた。

急いで実家に電話をかける。数回のコールの後、眠そうな母の声が聞こえた。

『……もしもし? こんな時間にどうしたの?』

「母さん! 無事か? 何も起きてないか?」

『何言ってるのよ。寝てたのに……』

母は無事だった。本当にただの詐欺だったのだ。
安堵の息を吐き、電話を切ろうとした時、ふと背筋が凍りついた。

『……ところで、あんた。さっき振り込んでくれた100万円、足りないんだけど』

電話の向こうの「母」が、低く、男のような声で呟いた。

「……え?」

『だから、次はもっと上手くやるって言っただろ?』

スマートフォンを放り投げた。
床に落ちた画面の中で、通話中のアイコンが不気味に光り続けている。

自分はもう、誰の声も信じられない。
電話の向こうにいるのは、本物の人間なのか、それともAIが作り出した「顔のない怪物」なのか。


作者注: この物語はフィクションですが、ディープフェイク技術による詐欺は現実の脅威です。数秒の音声や画像から本人そっくりの偽物を生成することが可能になっています。不審な電話やビデオ通話には十分に注意し、家族間で「合言葉」を決めるなどの対策をお勧めします。

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