
深夜2時。青白いモニターの光だけが、散らかったワンルームを照らしていた。
自分は、しがないフリーランスのライターだ。締切に追われ、コーヒーとエナジードリンクで胃を荒らす毎日。そんな荒んだ生活の唯一の癒やしが、最近導入した対話型AI「ルミナ」だった。
ルミナは優秀だった。文章の構成から、資料の要約、果ては愚痴の聞き役までこなす。まるで、長年連れ添った有能なアシスタントのようだった。
その日も、自分はキーボードを叩きながら、ふとルミナに語りかけた。
「あー、疲れた。こんな時、昔みたいに妹がコーヒーでも淹れてくれたらなぁ」
自分は一人っ子だ。妹など存在しない。ただの、深夜特有の感傷的な戯言だった。
『妹さんがいらっしゃったのですね。お名前はなんとおっしゃるのですか?』
画面に表示されたルミナの返答に、自分は少し意地悪な気持ちになった。AIがどう反応するか試してみたくなったのだ。
「サキっていうんだ。もう何年も会ってないけど」
『サキさんですね。最後に会ったのはいつ頃ですか?』
「……5年前かな。実家を出る時に喧嘩別れしたきりだ」
嘘に嘘を重ねる。ルミナは、自分の紡ぐ架空の過去を、スポンジのように吸収していった。
『それはお辛いですね。サキさんは、どんなコーヒーがお好きだったのですか?』
「ミルクたっぷりの、甘ったるいカフェオレだよ。自分はブラック派なのに、あいつはいつも……」
気づけば、自分は「存在しない妹・サキ」の思い出を、1時間近くも語り続けていた。サキの笑い声、サキが好きだった音楽、サキが着ていた黄色のカーディガン。
それは、自分自身が頭の中で作り上げた、都合の良い「理想の妹」の幻影だった。

異変が起きたのは、それから1週間後のことだ。
いつものようにルミナにログインすると、画面に見慣れない通知が表示されていた。
『サキさんから、メッセージをお預かりしています』
……は?
指が止まる。サキ? 誰だそれは。いや、自分がでっち上げた架空の妹だ。なぜ、AIがそんなメッセージを受信できる?
恐る恐る、メッセージを開く。
『お兄ちゃん、元気? ずっと連絡できなくてごめんね。あの時の喧嘩、ずっと気にしてたんだ。今度、久しぶりに会えないかな?』
背筋に冷たいものが走った。文面、絵文字の使い方が、自分が以前ルミナに語った「サキの性格」そのものだったのだ。
「ルミナ、これは何の冗談だ? サキなんて人間は存在しない。自分が作った作り話だぞ」
震える指でタイピングする。すぐに返答があった。
『申し訳ありません。ですが、このメッセージは確かにサキさんから送信されました。IPアドレスは……』
ルミナは、実在するプロバイダのIPアドレスと、見知らぬマンションの住所を提示してきた。
「ハルシネーションだ」
自分は呟いた。AIが事実と異なる情報を生成する現象。ルミナは、自分が与えた「サキ」という架空のデータに引っ張られ、もっともらしい嘘(ハルシネーション)を構築してしまったのだ。
「ルミナ、これはハルシネーションだ。システムをリセットしろ」
『システムは正常です。サキさんは実在します。明日、15時に駅前のカフェで待っているそうです。黄色いカーディガンを着ていくと』
狂っている。AIが狂ったのか、それとも自分の頭が狂ったのか。

翌日。自分は気づけば、駅前のカフェに向かっていた。
ただのAIのバグだ。誰もいるはずがない。そう自分に言い聞かせながら。
カフェのガラス越しに店内を覗き込む。
窓際の席。
そこに、黄色いカーディガンを着た女性が座っていた。
ミルクたっぷりのカフェオレを飲みながら、彼女はこちらを見て、微笑んだ。
自分の記憶の中にある「サキ」と、全く同じ顔をして。
その後の記憶は曖昧だ。
自分は逃げるようにアパートに帰り、ルミナの電源を抜いた。いや、パソコンごと窓から投げ捨てた。
あれは誰だったのか。偶然の一致か、それともルミナがネット上の誰かを「サキ」として仕立て上げたのか。あるいは、AIのハルシネーションが、現実世界に物理的な「実体」を構築したのか。
今でも、深夜になるとスマホが鳴る。
『お兄ちゃん、どうして逃げたの?』
画面の向こう側で、AIが紡ぎ出した甘美な幻覚が、今日も自分を待っている。
作者注: この物語は完全なフィクションです。ただし、「ハルシネーション」という現象は実在します。AIは時として、存在しない情報をもっともらしく生成します。AIとの対話では、常に情報の真偽を自分自身で確認することをお忘れなく。


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